目を見て会話できないことがハッキリした話

コミュニケーション体験談
コミュニケーション体験談

私が知っている人は誰もいない。30人くらいはいるだろうか。スクール形式に並んだ席の一つに座って講義が始まるのを待つ。知り合いからの情報で無料の1日体験の話し方教室があることを知った。私は話し方教室というものに通ったことはなく、これまで独学で話しをしてきたが、人生でうまく話せたという手ごたえを感じたことがほとんどない。独学では限界があるのかもしれないと思って参加申し込みをした。

しばらくすると講師が部屋に入ってきた。初老の痩せた男性。顔は、人生で一度も怒ったことはありませんというくらい穏やか。この人が大学の先生ならばその授業をとっただけで(テストの点数や出席率に関係なく)単位をくれそうだ。

「今日は体験教室で1日しかありませんので、話し方のテクニックをすべて教える時間はありません」その初老講師は言った。

「なので、今日は自分がどんな話し方をしているのかを皆さんに知ってもらいたいと思います。自分の話し方を他の人にチェックしてもらうということをします」

この講師は見た目とは裏腹に退屈な講義を延々とするタイプではなく、みんなを巻き込む実践タイプだった。「シチュエーションは面接にします。3人ずつのグループになって、そのうちの1人が話し、他の2人が面接官となってその人の話し方をチェックするということをしていきます」

ほほう!話している表情や姿勢、仕草を他の人に見てもらって改善点をあぶり出し、修正するということらしい。普段の生活において自分がどんな話し方をしているかを知ることはほとんどない。これは有意義な機会かも。その期待と同じだけ不安になってもいた。なにせ私は人に評価される発表会的なものはとても苦手だ。プレゼンや面接は緊張して一番パフォーマンスが落ちてしまう。人から注目されるのがとにかく恥ずかしい。生まれながらのシャイに加えて自意識過剰、とどめに緊張すると呼吸が苦しくなるという人前に出てはいけない特徴を持ち合わせてこの世に生まれてきている。

「でもこれはいい機会だから頑張らねば」私の順番がやってきた。部屋の前に出ていくと私の面接官2人はどちらも女性で綺麗な人だった。この講義が始まる前に、どんな人が参加しているのか部屋を見渡したところ、この2人が目についていた。その両方が審査員として今から私をチェックしようとしている。単なるおっさんに話すのでも緊張するのに、美女2人を前にして失敗できないというプレッシャーがさらにのしかっかる。

「自分が成長したと感じるときはどんなときですか」美女Aは尋ねた。

シャイな人は往々にして、自分のことを言うのが恥ずかしいときにユーモアへ逃げることがある。

「鏡を見ていて、頭に白髪があったんですけど、それを見たときに成長したなと感じました」照れ隠しで回答をしてみた。

「・・・・・・」美女Aだけでなく美女Bにも笑みはない。むしろ困惑した表情をしている。

全く笑みがないことにたじろいでしまったけど、それでもオーソドックスなつまらない答えよりは好印象を持ってもらえたはず。ポジティブシンキングは人生における自分の武器だ。

面接形式のチェックが終わると、最後に面接官2人からそれぞれ総評をもらうことになった。

「目が泳いでいる」と美女A。

「そして自信がないように見えます」と続けた。

美女Bは「適度に相手に目線を合わせたほうが良いと思います」と、あなたは無料の体験教室ではなく、しっかり有料プランで改善したほうが良さそうねと言いたげに言ってきた。

私が期待した「おもしろかった」「ユーモアな答えがあった」などの評価は一切なし。確かに話し方に自信はなかったけれど、美女2人に話し方が良くないことがすっかりバレてしまってまた恥ずかしい。打ちのめされた気分。

話し方体験教室は輝かしいものではなかったけれど、それ以降、話をしていて相手を見ていないことに気付くことができるようになった。恥ずかしい気持ちがあると下を向いてしまっている。でも、気付くことこそできたけど、そこから目を見て話すことは依然としてできていない。目を合わせられないのは、自然にしてしまうことなのだ。これは直したほうがいいんだろうか。これを直すことで私の人生が格段にうまくいくのだろうか、そのままでも良いのではないか、ありのままの自分を受け入れよう。と、強がっては見るものの、アイコンタクトしながら自信満々で話をする人が羨ましく見えるのも事実。変わりたいのならば相手を見てみるということを意識して話してみる必要がありそうだ。

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